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-島歩き- 小豆島おもしろ草子

新説日本の古代史の最近のブログ記事

銅鐸とサヌカイト

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銅鐸とサヌカイト

日本最古級で最大級の古墳のひとつ、箸墓古墳。
ここに埋葬されているのは「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメ)」である。
このモモソヒメは第7代孝霊天皇の娘で、桃太郎のモデルとなった吉備津彦命や稚武彦命の姉さんだ。
ちなみに旦那さんは三輪の大物主命(大国主命?)
一説には、このモモソヒメを卑弥呼だという説もある。

この箸墓古墳には、なぜか讃岐特産のサヌカイトが使われているのだ。
なぜ、わざわざサヌカイトを箸墓古墳に使ったのだろう?
高松の一宮に田村神社という大きな神社がある。主祭神は「倭迹迹日百襲姫命」
香川には、モモソヒメにまつわる伝説も数多く残されている。
私が考える(妄想)に、桃太郎伝説でも書いた通り2人の弟が岡山・香川を制した。
そこに巫女体質(シャーマン)のモモソヒメが招かれて来ていたのではないだろうか。
彼女は崇神天皇の時代に、神の託宣を受けて王者を補佐する預言的巫女として登場している。
そして彼女は音によって神憑りしていたのではないだろうか。

知っての通りサヌカイトは叩くと澄みきった美しい音がする。マリンバのような音だ。
古代の人は、この不思議な音に神を感じていたに違いない。
そして、これと同じような音色を出すものを作ったのではないだろうか。
それが銅鐸である。
私は銅鐸を叩いたことはない。しかし、あの形状からすると、ハンドベルに近い。

岡山と讃岐を往復し、銅鐸を使って神憑りしていたモモソヒメ。
別名「大鐸比売」と呼ばれたかもしれない。

以下次号

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孫正義氏

天孫降臨の謎を解く2

熊本県八代市に町おこしとして設立された「河童共和国」というのがある。
実は熊本県は河童伝説が豊富なのだそうだ。
その伝説とは「九千坊という文武に優れた指導者の率いる河童が、来航し、八代に上陸した。」というものらしい。
そして熊本には古来から【オレオレデライタ】という謎の言葉が伝えられているという。
この言葉を中国語に訳すと「呉人呉人的来多」となるそうだ。
つまり九千坊とは、呉の国からやってきた集団のリーダーだろう。
これは前号で書いた「海に消えた陶濬率いる2万の軍勢」と何か関係がありそうだ。
熊本と言えば狗奴国。男王卑弥弓呼、其の官に狗古智卑狗である。
魏と親交があった卑弥呼率いる倭国連合軍に属さず敵対していた国なので、呉からの渡来者を快く迎え入れたと考えてもおかしくない。
なお余談ではあるが、熊本の豪族である菊地一族の先祖は狗古智卑狗ではないか、と私は思っている。

さて、調べてみると意外と「呉」は日本と関係が深そうだ。今でも呉服というが、これは呉から伝わった服が語源らしい。また、呉市などはそのまんまである。
そのまんまと言えば、そのまんま東氏は宮崎県知事になった。宮崎は日向の国である。
ここで、呉→呉市→そのまんま→そのまんま東→宮崎→日向→高千穂→天孫降臨と1本の糸で繋がるのである。これはすごい。予想外だ。
予想外と言えば「予想外割引」のソフトバンク社長は、呉の皇帝と同じ名字である孫正義氏だ。
彼もまたIT業界の「天孫降臨」である。私のケータイもSBMである。と、持ち上げておけば小豆島がYahoo!BBのサービスエリアになるかもしれない。期待しよう。

と、書いていて気が付いた。なぜ「天子降臨」ではなく「天孫降臨」なのか。
これはやはり記紀の編者が「孫氏(呉王)」がやって来た、という一つのヒントを残したのではないだろうか?

以下次号

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天孫降臨の謎を解く

出雲の国譲り~天孫降臨に関しては、言うまでもなく「新勢力による侵略」の記録である。
ところが記紀の編纂に関わった者は「侵略」という風に書くわけにはいかなかった。
なぜならば、それは天皇が侵略者の子孫ということになってしまうからである。
だから大義名分として「天照大神の命により」ということにしたのだ。
では侵略者は何者か?
先日、面白い説を見つけた。その答えは三国志にあるというのだ。
三国志には当時の日本のことが書かれた「魏志倭人伝」がある。
倭国の女王、卑弥呼が朝献し親魏倭王の金印を賜った云々・・と書かれている。
邪馬台国論争の発端となったものである。
面白い説というのは、この魏志倭人伝ではない。

知っての通り三国志とは、漢の末期から魏・蜀・呉の3つの国に分かれ、魏国をクーデターで奪い取った司馬一族により立てられた、西晋による中国統一まで書かれた歴史書である。
一般に読み物として人気のある三国志は「三国演義」であり、ムシロ売りをして生計を立てていた劉備が漢の血を引く事を知り、豪傑の張飛・関羽と共に志をたて天才軍師・諸葛孔明を迎え、蜀を建国する武勇伝として長く愛されている。KOEIのシミュレーションゲームでも大人気の一作だ。

それはさておき、問題の箇所である。それは呉書にあるという。
呉の国は、代々孫氏により治められていた名門であり、孫堅・孫策・孫権と名君による堅実な政策と、周瑜・魯粛・諸葛瑾(孔明の兄)など優秀な軍師により安定した国力を保った国であった。
ところが諸葛孔明の死と暗愚な2代目皇帝・劉禅の悪政により蜀が滅亡し、三国のパワーバランスが崩れ、蜀を併合した西晋により呉は危機に陥る。
時の皇帝は孫皓。西晋の総攻撃の直前に陶濬(とうしゅん)という武将が孫皓に申し出る。
「敵は蜀の小型船で攻めてきます。私に2万の兵と大型船をお与えいただければ打ち破ってみせましょう。」孫皓はその言葉を信じ、2万の兵と大型船を陶濬に与える。
ところが!西晋の総攻撃前夜に、陶濬率いる2万の軍勢は大型船もろとも消えてしまったのだ。
こうして呉は滅亡する。

問題は陶濬と2万の兵である。どこに消えたのか?
呉の国は台湾より北に位置する。宮古諸島の西側くらいだ。つまり黒潮に乗れば簡単に日本にたどり着くのである。また、当時の船は大型船といっても100人乗り程度だろう。つまり200隻くらいの船で海に出たと思われる。数十隻ずつに分かれ日本の各地に着いたのではないだろうか。
ある船団は対馬海流に乗り出雲へ。またある船団は日向へ。
鉄の武器と兵士を満載した船が、である。

以下次号

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天孫降臨の謎

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天孫降臨の謎

古事記・日本書紀には読む者を惑わす罠が仕掛けられている。
私も実は、神話→物語→歴史という流れに沿って書かれているものだと思っていた。
しかし、登場人物を追っていくと無限ループに陥るのである。
そこで私は考えた。例えば歴史上起きたことを「神話」あるいは「物語」として創作し、名前を変えて神代にあった出来事として書かれたのではないだろうかと。

天孫降臨も謎だらけなのである。
天照大神は高天原の神々と相談し、葦原中国を統治するために自分の子供を派遣する。
しかし、3人の子供たちは次々と失敗し、最後に建御雷神(タケミカヅチ)と天鳥船(アマノトリフネ)を遣わす。
タケミカヅチとアメノトリフネは、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきであるとアマテラス大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねると、大国主は自分が答える前に息子の事代主に訊ねるようにと言った。事代主は「承知した」と答える。
しかし、もう一人の息子である建御名方神(タケミナカタ)は承知せず、タケミカヅチに力くらべを挑む。
タケミナカタはタケミカヅチの手を掴むが、その手が氷に変化したのに驚き諏訪まで逃げ出し「この地から出ないから許して欲しい」と言い服従する。
こうしてタケミカヅチは葦原中国平定をなし終え、高天原に復命したのである。

ところがである。その後、天照大神は葦原中国平定が終わったので、自分の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に葦原中国の統治を委任し、天降りを命じるのであるが、ニニギが降り立ったのは出雲ではなく、日向国の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)なのである。

せっかくタケミカヅチが大国主から出雲を譲ってもらったのに、なぜ出雲に降りず日向の高千穂(宮崎県)なのか。また、記紀が書かれたころには大和朝廷が出来上がっていたのだから、なぜ直接大和の地に降り立ったとしなかったのか。

また、出雲を譲った大国主はその後、三輪山へ移り大和の国造りをしているのである。
これも不思議な話だ。次号からその謎に迫ってみよう。

以下次号

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大野手比売と大鐸(おおぬで)

さて、前置きが長くなってしまい申し訳ないのだが、もう少しお付き合い願いたい。
いつも感じることなのだが、遺跡とか古墳がある所に行くと、なんとなく空気?が違うように思う。
私は昔、博多に住んでいたことがあり、車でよくあちこち出かけたときなんとなくだがそんな気がした。
それと同じような感じがする場所が小豆島にもある。大鐸のあたりである。
上庄から肥土山に向かう途中からそんな気がする。
九州で言えば、瀬高(山門)のあたりと同じ感じがするのだ。(思い込みかもしれないが)

で、古事記の国産みで「次に小豆嶋(あづきしま)を産む。またの名は大野手比売といふ」
現在よく言われているのは「大野手比売の名が変化し大鐸という地名として残った」であるが、私は逆ではないかと思うのだ。
元々「大鐸姫」ではないだろうか。「姫」を「比売」と書くように「大鐸」を「大野手」と古事記特有の書き方にしたのではないだろうか。
古事記の顕宗天皇記に「鐸」は「奴弓(ヌテ)」と言い、紐を引いて鳴らし合図に用いたと書かれている。
古事記には銅鐸に関することは一切書かれていないのだが、合図に使われた「鐸(ヌテ)」とは銅鐸のことではないだろうか?また、それを使ったのが天皇であるということも興味深い。
こう考えると「大鐸(オオヌデ)」とは「大きな銅鐸」という意味で、「大野手比売」は、巨大な銅鐸を所有する権力を持った女性ということになる。

昭和4年に安田の三五郎池西側で採石中に、石の下から銅鐸が出土した。3年後には同所から銅剣が、更に昭和45年には土器と共に銅剣の破片が見つかっていて極ヶ谷牛飼場遺跡と呼ばれている。
安田と大鐸では距離がかなり離れているのだが、大鐸あたりも掘ってみれば銅鐸が出てくるに違いない。いや、出てきてほしい。頼むから出てきてくれ。

と、いうことで私の妄想では「大野手比売」は相当な権力を持った女性である、ということを前提に話を進めていくのだ。

以下次号

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元伊勢籠神社

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元伊勢籠神社

さて、小豆島の神である大野手比売の話をする前に、豊受大神が祀られている「元伊勢籠神社」について話をしよう。
主祭神は「饒速日命(ニギハヤヒ)」である。ニギハヤヒとは何者か?と言うと、初代神武天皇が日向の地を出て大和の地を治めるという、いわゆる「神武東征」の時に、先に大和を治めていた人物である。

神武東征とは
神武天皇は、兄のイツセと共に日向を出て浪速国の白肩津(今の東大阪付近)に到着する。しかし、そこに待ち構えていたナガスネヒコの軍勢と戦いになり、兄のイツセを失う。
これは太陽に向かって戦ったのがいけなかったと、神武軍は南に廻り熊野から大和に向かう。そしてまたナガスネヒコ軍と戦うのだが、ナガスネヒコは神武が天の子だと聞き困惑する。なぜかというと、ナガスネヒコの義理の弟であり主人であるニギハヤヒもまた天の子だったからだ。
「自分が祀るニギハヤヒは昔、天磐船に乗って天降ったのであり、天津神が二人もいるのはおかしいから、あなたは偽物だろう」と言うのだ。
そこで神武は天津神の御子の印を見せるのだが、ナガスネヒコは戦いを止めようとしなかった。
やがてニギハヤヒが現れナガスネヒコを斬り殺し「あなたに仕えます」と、自分が持っていた天津神の御子としての印の品物を神武に渡した。

これがニギハヤヒが神武に国を譲った話である。で、ニギハヤヒはいくつかの別名を持っている。
饒速日命・彦火明命・天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命である。
私は、この名を見て驚いた。何故かというと、日本書記でいう火明命とは古事記でいう火照命だからだ。
思い出していただきたい。私がこのブログで先に書いた「邪馬台国小豆島説」の山幸・海幸の話を。
主人公は山幸彦(火遠理命)だが、釣り針を取り返してこいと命令した兄、海幸彦は火照命(火明命)なのだ!

つまり、山幸彦は豊玉姫と結婚し子供を授かる。しかしワニになって出産するところを山幸彦に見られたために子供を残し去る。そしてその子は豊玉姫の姉(妹)の玉依姫と結婚し、生まれた子供が神武天皇なのだが、元伊勢籠神社にニギハヤヒ(海幸彦)と共に祀られる豊受大神=豊玉姫だとすると、山幸彦のもとを去った豊玉姫は兄の海幸彦の所に行ったことになる。なんだこれは。
さらに脇役のはずの海幸彦は、いつの間にか大和を治めるほどの大物になっていたのだ!

以下次号

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かごめの話

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かごめの話

さて、前号に続いてかごめの話だが、今回はちょっとマジメに話そう。
わらべ歌の「かごめかごめ」は「屈め屈め」の意味だと言う説もあるが、かごめを漢字で書くと「籠目」である。籠目とは、竹で籠を編んだ時にできる目だ。
この形は六角形で「亀甲」と呼ばれる形になる。つまり亀の甲羅の模様である。
また、形は少し違うが三角形を重ね合わせて出来る六角形は、ダビデの星(六芒星)と呼ばれユダヤ民族を象徴するしるしである。

亀と言えば、元伊勢籠神社のある丹後地方には浦島伝説がある(丹後風土記)
また日本書紀にも「丹波国(のちの丹後)余社郡、管川の人、瑞の江の浦島子が亀を釣り上げたところ、これが女人に変じた。浦島子は驚き喜んで妻にし、海に入り蓬莱山に至り仙衆たちと巡りあった」と書かれている。

また、この亀甲紋はなんと出雲大社の神紋でもあるのだ。

ここで元伊勢籠神社→亀甲紋→出雲大社と、一本の線でつながる。
そして話は須波阿須疑神社に出雲の神々と一緒に祀られた大野手比売へと戻るのだった。

以下次号

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かごめかごめの謎を解く

丹後半島のある場所に一人の女性が監禁されていた。彼女の名は「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)」またの名を「台与」。そう邪馬台国女王卑弥呼の後継者である。
日本国の覇権をかけた戦いに敗れ、北部九州から出雲、そしてこの丹後半島まで逃げてきたのだが、とうとう捕らわれの身となってしまったのだった。

番人「台与様、食事でございます。」
台与「メニューは何じゃ?」
番人「オムライスでございます」

捕らわれの身とは言え、台与は一時期倭国の女王として君臨していたので、扱いは良かった。
ただ、話相手は籠に入れられた一羽のインコだけだった。

台与「なんじゃ、この味付けは!京風味付けは薄いのぅ~。わらわはもっと濃い味付けが好きじゃ!」
番人「そう言われましても、濃い味付けは成人病のもとでございます。」
台与「なんでもよい!ケチャップを持ってくるのじゃ!」
番人「まったくわがままなんだから。」

番人「台与様、ケチャップでございます。」
台与「誰がデルモンテを持ってこいと言った!ケチャップはカゴメに決まっておろうがっ!」
番人「ははっ。では探してまいります。」

番人は食料倉庫でカゴメケチャップを探した。

番人「ええと。。カゴメカゴメ・・・。」

台与は籠の中の鳥に話かけた。
台与「いつになったらこの不自由な生活から抜け出せるのかのぅ。早くJRに乗って帰りたい・・。」
インコ「イツイツジェイアール」

番人「まったく・・こっちは三交代で徹夜だというのに・・。次の交代は夜明けだなぁ。」

夜明けまで働く番人。夜明けの番人。

番人「カゴメケチャップは・・あった、あった。この瓶の奥か。」

番人は、瓶をのけようとして持ち上げたが手を滑らせてしまった。つるっと瓶が滑ったのだ。
落ちた瓶は、幸いにも下に重ねてあったムシロの上に落ち割れずに済んだのであった。

番人「ああよかった。瓶を割らずに済んだ。」

番人「台与様、カゴメケチャップでございます。」
台与「そうそう。これこれ。これじゃないと。で、すまぬがちと腰が痛い。座布団を持って来てほしい。」
番人「座布団なぞありませぬ。」
台与「しかたがないのぅ。ではムシロでよい。持ってきてたもれ。」

番人は言われた通りにムシロを持ってきたが、さっき落とした瓶に入っていた水でムシロは濡れていた。
番人「ええと。ムシロがちと濡れております。」
台与「なにっ!誰かムシロに小便をしたなっ!」

ムシロの小便だ~れ?

以下次号

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豊受大神

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豊受大神

皇祖天照大神を祀る伊勢神宮。神社の中でも別格とされ、神社本庁の本宗とされている。
内宮は天照大神を祀り、外宮は豊受大神を祀る。天照大神は太陽神として、知らない人はいないくらい有名な神様であるのに対し、豊受大神に関してはほとんど知られていない。
不思議なことに、なぜか記紀も黙殺しているのである。唯一の手掛りは九世紀初めに記された「止由気宮儀式帳」に天照大神が「私一人では寂しい。食事もやすらかに取れないから、豊受大神を御饌の神として呼んでほしい」と託宣し、丹波の国から豊受大神が招かれた、と書かれているくらいである。

そこで調べてみると、丹後一宮に豊受大神を祀る「籠神社(このじんじゃ)」というのがある。
ここは通称「元伊勢籠神社」と呼ばれている。
「籠」という字は「この」と読むらしいが、普通の読みは「かご」である。
そこで私は思い出した。わらべ唄の「かごめかごめ」だ。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?

私は子供のころからこの唄が怖かった。意味不明なだけに恐怖が募るのだ。
「いついつ出やる」が「いついつJR」だと怖くないのだが。

この唄には諸説があって、徳川埋蔵金のありかを示した唄だとか、遊女を唄ったとか、妊婦が突き落とされた唄(これは怖い)だとか言われているが、はっきりしたことは判らない。
私は、豊受大神を唄ったのではないかと考える。
籠神社に祀られていた(幽閉されていた)豊受大神が、天照大神に呼びつけられて世話係りをさせられたという悲しみを唄ったのではないだろうか。

そのストーリーを説明しよう。

以下次号

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須波阿須疑神社

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須波阿須疑神社

福井県今立郡池田町の須波阿須疑神社。主祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」
一般的には「宇迦之御魂神」と呼ばれている。耳にしたことがある人は少ないだろうが、全国で最も多い神社のひとつ「お稲荷さん」の神様である。
この神様は、食物の神様であり「稲荷」というのも「稲生る」が転化したものだと言われている。

次に「大野手比売(おほのてひめ)」
言わずと知れたわが小豆島の神様。
次に「建御名方命(たけみなかたのみこと)」
諏訪神社の祭神である。古事記によると、大国主命の息子で国譲りのときに最後まで抵抗したが、天照大神の使者の建御雷命(タケミカヅチノミコト)に力比べで敗れ、出雲を逃げ出し諏訪湖のほとりに隠棲したとされている。

この三柱の他に「大田命(大田田根子?)」「大巳貴命(おほなもちのみこと)大国主命の別名」「伊邪那美尊(いざなみのみこと)」「伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)」「火産霊神(ほむすびのかみ)」が祀られている。

さて、ここで古代史に詳しい人なら気付いたであろう。
そう。この須波阿須疑神社の祭神は、イザナギ・イザナミは別として出雲系の神々なのである。
また主祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)は食物の神ということから、同じ食物神で伊勢神宮の外宮に鎮座する女神「豊受大神(とようけのおおかみ)」と同一神と見られることがある。

そして、この「豊受大神」こそ古代史を覆すキーになる謎に満ちた女神なのだ。

以下次号

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プロフィール

紅雲亭 一葉
プロレタリア文学作家の血を引く佃煮屋さん。
読む人をして声を出して笑わせしめる天賦の文筆力を授かる。 その文章に根強いファンが増えるはず。

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