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-島歩き- 小豆島おもしろ草子

邪馬台国小豆島説の最近のブログ記事

エピローグ

「邪馬台国」と言えばまず卑弥呼の名が浮かんでくるのだが、小豆島説ではあえて「壹与」にスポットをあててみた。
ここで皆さんに知らせておかなければならない事がある。
正確には、魏志倭人伝では「邪馬壹国」と書かれているのだ。
邪馬台国なら「邪馬臺国」と、書かれていなければならない。これも議論が決着していない点である。
つまり、「臺」という字は尊いので、あえて「壹」に書き換えたという説がある。

と、いうことは「壹与」も「臺与」である可能性がある。読み方としては「タイヨ」だ。
音からすると、タイヨ→トヨ あるいは タイヨ→イヨ と変化することは充分考えられる。
ここで考えていただきたい。トヨの島。そう、豊の島。豊島である。
そして、イヨの国。伊予の国。そう、愛媛県である。
そう考えると、小豆島説もまんざらではない ( ̄^ ̄)y-~ 

また、もしかすると「タイヨ」というのは「タイヨウ」かもしれない。
タイヨウ、つまり「太陽」である。魏からの使者が「あの人は、誰ですか?」と尋ねて、誰かが「太陽です」と答えたのかもしれない。
では、太陽の女神はというと、天照(アマテラス)大神である。

記紀神話に登場する天照大神のモデルは、もしかすると「臺与」かもしれない。

歴史に潜む謎を考えるのは面白い。

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小豆島説検証その2

小豆島説検証その2

さて、前号で『小豆島である!』とでっかくブチ上げたのだが、何の反応もない(寂)
私としては「そうなんですか!では早速、前方後円墳まんじゅうを作ります!」とか「新作のソフトクリームは、勾玉ソフトにしました!」とかの反響を期待していたのだが。

それはさておき、前号で「大和朝廷の祖」は応神天皇だろう、と書いた。
小豆島には応神天皇に関する伝説が数多く残されている。
例えば「寒霞渓」だ。ロープウェイに乗った人なら解説で聞いたことがあるだろうが、「応神天皇が、この山を登るのに鉤をかけて登ったことから『鉤かけ山』と名付けられ、やがて「かんかけい」と呼ばれるようになったのでございます。」と、ガイドさんが鼻にかかった声で説明してくれる。

西村にある「鬼ケ崎」は、応神天皇が上陸する際に、荷物を乗せた小船が天皇より先に着いた所なので「お荷が先」と呼ばれるようになった、という伝説がある。

また、「馬木」の地名は、この地を訪れた応神天皇の仮宿を作った場所が、バベの木(馬目の木)のそばだったことから付いた。とも言われている。

その他、宝生院のシンパク始め、書き出せばきりがないほど、小豆島には応神天皇の伝説があるのだ。
これは『邪馬台国~大和朝廷』へ移行していった時代の「主役と小豆島」の関係が深いからである。

ここまでを読んで「小豆島が邪馬台国?そんなバカな!」と思われる方も多いだろう。最もである。
私自身、小豆島が邪馬台国であるとは思っていない。
可能性としては「小豆島を含む北四国(鳴門~香川一帯~愛媛)」が邪馬台国だったかもしれない。

古代ロマンは尽きないのである。

邪馬台国小豆島説 完

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山幸彦と豊玉姫の検証2

さて、前号で書いたように「古事記」では、山幸彦と豊玉姫の孫(甥)が神武天皇となっているのだが、歴史学者の見解では、神武~開化までの九代は欠史九代として、実在しない天皇(後世の創作)と言われている。
では、山幸彦と豊玉姫の血を引く人物で「大和朝廷」を建てた人物は誰なのか?
一説には、第10代崇神天皇が神武のモデルであり「大和朝廷の祖」と言われているが、私は第15代の応神天皇ではないかと考える。応神天皇の母は神功皇后であり、卑弥呼と同じように巫女で倭女王とされている。また、応神天皇の祖父は「日本武尊」で、父である景行天皇の命令で、たった一人で敵対する国々を平定した人物である。一人で船に乗り海に漕ぎ出した山幸彦と似ている。

それはさておき、豊玉姫=壹与だとすると、山幸彦が豊玉姫と出逢った「聖なる島」こそが邪馬台国である。そこはどこか?
ここで、始めに書いた国生み神話がキーになる。
「聖なる島」であるからには、イザナギ・イザナミによって生まれた島でなければならない。
小船に乗り、一人で漕ぎ出したというからには、日本海の荒海ではなく瀬戸内海である。
候補は、吉備児島、小豆島、大島、姫島、知訶島、両児島。
このうち知訶島と両児島は、どこだか特定できていない。
吉備児島は、半島である。これで小豆島、大島、姫島の3つに絞られた。
この3島の古事記での呼び名であるが、小豆島(大野手比賣(おおのでひめ)、大島(大多麻流別(おおたまるわけ)、姫島(天の一つ根)。
邪馬台国は、女王国である。住む島も女性の名前でなければならない。
上記3島のうち、女性の名前が付いた島はただひとつ。

小豆島である!

以下次号

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山幸彦と豊玉姫の検証

まず、山幸彦とは何者か?
答は、話の中にある「山で狩猟をしていた」という点と「自分の剣を溶かして釣り針を作った」という所で見えてくる。
つまり、「たたら(製鉄技術)を使える山の民」である。
火を扱い製鉄・鍛冶・鋳物などを生業とする人びとが、その守護神として祀っている「金屋子神」は、安芸、備後、美作、播磨、伯耆、出雲、石見などで盛んに信仰されており、このことから「山幸彦」は中国地方を治めていた吉備王朝の王であることが考えられる。

次に、豊玉姫。
「トヨタマヒメ」とは「玉のように美しいトヨという名の女性」という意味だろう。
歴史に詳しい人なら、トヨという名で気付くはず。
魏志倭人伝にはこう書かれている。

「卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壹与年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる。政等、檄を以て壹与を告喩す。」

卑弥呼の死後、国が乱れ男王を立てたが収まらず、卑弥呼の娘「壹与(トヨもしくはイヨ)を国王にして、ようやく国が治まったというのである。

「トヨタマヒメ=壹与」であるとは考えられないだろうか?

つまり「海幸彦・山幸彦」の話は「吉備王朝の王と邪馬台国の女王の結婚話」なのである。

古事記では、山幸彦(火遠理命)と豊玉姫の間に生まれた「鵜葺屋葺不合命」が豊玉姫の姉の玉依姫と結婚し、その二人の間に生まれた子供が、初代天皇「神武」となる。


以下次号

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再会

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さて、故郷に戻り、無くした釣り針を海幸彦に無事返した山幸彦。
しかしながら、綿津見の宮に残してきた豊玉姫への想いはつのるばかり。

「逢いたいよぉ~」

逢いたい~気持ちは~ ままぁ~ならぬぅ~♪
こんばんは。鶴岡マサヨシと東京ロマンチカです(古)

毎日、海を見てはため息をつくばかり。
そんな時、ふと海を見ると・・・

「ああっ!豊玉姫!!!」

そう、豊玉姫も山幸彦を忘れられず一人で小船に乗り、山幸彦のもとへやって来たのだった。

「姫、もう二度と離しはしない!」
「山幸彦さまっ!」

と、いうことでめでたし、めでたしなのだが、この後、豊玉姫がワニの姿になって子供を産む話とかが続くのだが、それは本題とは関係ないので省略する。

以上が「海幸彦・山幸彦」の物語なのだが、次号からこの話を分析してみよう。

以下次号

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山幸彦、故郷へ

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のんびりと綿津見神の宮殿で暮らしていた山幸彦は、ふと思った。
「あれれ?おいら何をしにここに来たんだっけ?」
「ええと。。。あっ!忘れてた!釣り針を探しに来たんだ!」

山幸彦は、あわてて綿津見神に相談した。
「ん?3年間も忘れてたの?なかなかの大ボケじゃのぅぅ。」
「いやぁ、そんなに誉められても。」
「むむ。益々ボケるのが上手くなって来たの。」
「お義父さんのおかげです。」
「では、わしが海に潜って見てこよう。」

しばらくして、綿津見神は女神に化けて海から現れた。
「あなたが落としたのは、この金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
「・・・お義父さんのボケには、まだまだかないません。」

そんなこんなで、無くした釣り針を見つけた山幸彦は故郷に帰ることになった。

「山幸彦様、きっとまたお逢いできますよね・・。」
「もちろんだとも!必ず姫を迎えにくるから。」

愛しい豊玉姫を残して、山幸彦は釣り針を返すために故郷に向かうのだった。

以下次号

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豊玉姫との出会い

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「ここはどこだろ?」
山幸彦は、島を探索するともなくウロウロしていると、1本の大きな木を見つけた。
その木に登って様子をうかがっていると、女の人が水を汲みに現れた。
「きゃーっ!痴漢よっ、痴漢!!」
「あ、ち、違いますっ。オイラは決して怪しい者では・・」

騒ぎを聞きつけて、その島の姫様がやってきた。
「あなたはどなたですか?」
「あ、突然やって来てすみません。オイラ山幸彦といいまっす。」
「わたしは、豊玉姫。この島の綿津見神の娘です。」
山幸彦は、たちまち豊玉姫の美しさに心を奪われた。
ええと、イメージとしては小西真奈美ということでヨロシク。

「さぞかしお疲れでしょう。宮殿でお休みくださいませ。」
豊玉姫に連れられて、山幸彦は宮殿に入り綿津見神に会った。
「やあやあ、ようこそここへ。クック、クック~♪」
「桜田淳子かっ」
「いえ、光GENJIです」
「・・・どっちにせよ、古いと思います」
山幸彦は綿津見神とすっかり意気投合し、丁重なもてなしを受けるのだった。

「いやぁ、実に楽しい。どうだ、いっそのことここで暮らさないか?」
「えっ?いいんですか?」
「いいとも~。そうだ、豊玉姫の婿さんになってくれればもっと嬉しいんだが。」
「まぁ、いやだわ。お父さまったらっ」(*ノノ)キャッ♪
「まままままじっすかっ!」
「わっはっは。二人ともまんざらでもないようだな。そうと決まれば善は急げだ。さっそく結婚式をあげよう。誰か、ジェファーソン神父に電話してくれ。」
「欧米かっ」

こうして山幸彦は三年間、ここに滞在することになった。

以下次号

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海幸・山幸

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さて、「海幸・山幸」の物語を知らない人のために、少しあらすじをお話しよう。

あるところに、二人の兄弟が住んでいた。海幸彦(火照命)は、海の魚をとるのが仕事。
そして山幸彦(火遠理命)は、山で獣をとるのが仕事だった。
毎日同じ仕事をするのに飽きた兄弟は、ある日山幸彦の提案でお互いの仕事を取り換えてみる。
「おいらもう山ばっかり行くの飽きちゃったよぅ。ヘビとかいるし。」
「あ、実は俺も毎回、魚とったどー!って、よゐこの浜口みたいに言うの飽きてたんだ。」
「んじゃ、今日一日仕事取り換えてみようよ。」

と、仕事を換えてみたのだが、慣れない仕事をしても上手く行くはずがない。
特に、山幸彦は「ひゃっほー♪」と、はしゃいでいて、海幸彦から借りた釣り針を、なくしてしまったのだった。

「あーっ!!!あの釣り針は、俺の一番大切な物なんだぞっ!」
「ご、ごめん・・・(ショボゥン)」
「返せよっ。あの釣り針返せよっ!」

山幸彦は、自分の刀を溶かして1500本の釣り針を作って謝ったが、海幸彦は許してくれない。
困った山幸彦は、塩槌神という人に相談して、小船に乗ってなくした釣り針を探しに海に出る。
そしてやがて「聖なる島」に着くのだった。

以下次号

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小豆島説・検証その1

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前回紹介した「大羽弘道」氏は、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国への行程は、一切無視である。
いいのか?いいのだ。

で、何を持って検証するかというと「古事記」
先にも書いた通り、古事記には「邪馬台国」も「卑弥呼」もでてこない。
もちろん、卑弥呼(日巫女)=アマテラスという説はかなり多いのだが。
大羽氏は、邪馬台国の年代を古事記に当てはめるのである。

古事記の構成は、「神話」「物語」「歴史書」の3部構成である。
まず、イザナギ・イザナミの国生み神話から始まり、イナバの白うさぎ(決して100人乗っても大丈夫な物置の話でもなければ、荒川静香の話でもない)などの物語が綴られ、歴代天皇の歴史書へと移って行く。

国生み神話

後で、重要な部分となるので少し解説をすると、イザナギ・イザナミはまず淡路島を生む。
次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州の畿内を生む。これを大八島という。
そして、次に比較的小さな島を生む。
吉備児島、小豆島、大島、姫島、知訶島、両児島である。
ここでわかるように、大八島は瀬戸内海を取り巻く地域であり、後から生まれる小さな島は瀬戸内海の島々である。(知訶島、両児島は特定できない)

さて、邪馬台国の年代だが、魏志倭人伝によると、景初二年(西暦238年)とか正始元年(西暦240年)に、魏に朝貢したとされていて、、『晋書』「四夷伝」倭人条には、266年に邪馬台国が西晋に朝貢したことが記述されている。
これからすると、3世紀後半まで邪馬台国はあったのだろう。つまり大和朝廷の成立の直前である。

これを古事記に照らしあわすと「物語」の最後の部分となる。
物語の最後は「山幸彦・海幸彦」の話である。

以下次号

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邪馬台国は沈んだ?

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「邪馬台国小豆島説」を唱えることに決めたワタシであるのだが、問題点があることに気付いた。それは・・

遺跡がないっ!

邪馬台国説を唱えているほとんどの地には、大きな古墳があったり、出土品があったりするのだが、小豆島にはそれらしい遺跡が無いのである。
土庄の富丘八幡宮(双子浦)、弁天島(内海湾)、亀尾山(古江)は、古墳があり出土品もあるのだが、せいぜい銅鏡1枚だ。物的証拠が無いのである。

これは困った。物的証拠がない場合はどうするのか。
そこで、「邪馬台国」に関するいろんな本を探してみた。苦労の末、探し出したのがこの本である。

「邪馬台国は沈んだ(大羽弘道著)」

怪しい。タイトルからして怪しい。
どれくらい怪しいかというと『昔、タコの姿をした宇宙人が、ママタウン平坂で買い物をしていたので、あなたタコ星人ですね?と声をかけると、そういうおまはんは、こんぺらさんやおまへんか。と言ってUFOに乗って西の滝方面に飛んで行った』という話くらい怪しい。
この怪しさは、ワタシが唱えようとしている「邪馬台国小豆島説」にピッタリだ。

次号から、この「邪馬台国は沈んだ」説に添って、小豆島邪馬台国説を検証してみよう。

以下次号

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プロフィール

紅雲亭 一葉
プロレタリア文学作家の血を引く佃煮屋さん。
読む人をして声を出して笑わせしめる天賦の文筆力を授かる。 その文章に根強いファンが増えるはず。

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