さて、佐々木信胤のその後だが、伝承では討ち死にしたと言われ、小豆島の各地に「信胤が討死にした場所」として「城崩れ」と呼ばれる神社や祠がある。
だが、実際のところは北朝方・細川師氏の被官として、荘園「肥土庄」の領家職となり、富丘八幡を造営したり、同宮本殿を遷宮したという古文書が残っているらしいから、うまく逃れてまた北朝側に寝返ったのだろう。なかなか世渡り上手である。
貞治元年の白峰合戦に、北朝方として戦いに加わったとの記録を最後に、信胤の名は歴史書から消える。
宇多源氏の系図にも、信胤の後は続いていない。
そして気になる「お才の局」だが、星ケ城落城後の彼女の行方はわからない。
もし、殺されたのであれば、伝承や言い伝えで残っていたり、音姫のように神社が祀られていそうなものだが、それもない。うまく逃げきったのだろうか。
佐々木信胤とお才の局の恋物語は、現在「安田踊り(県無形文化財指定)」として残されている。
それはそうと、今年の中山農村歌舞伎の出し物は「信胤とお才の局」だそうだ。
台本では、二人は許されぬ恋仲で、最後は毒を飲んで心中するらしい。
ロミオとジュリエットである。私の台本よりロマンチックである。憎い。
最後に。。
「佐々木信胤」でGoogle検索をすると、2番目にこのブログが出てくる。凄い。
ここまで駄文にお付き合いいただいた皆様に感謝いたしますm(__)m
「佐々木信胤」の章 完






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