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-島歩き- 小豆島おもしろ草子

全ての謎を解く その2

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全ての謎を解く その2

「では、神社は戦いの後に出来たと言うんですか?」
「その通りです。戦いで亡くなった武将の霊を鎮めるために、そして末永く祀られることを意図して、その場所に神社を建てたのではないでしょうか。」
「なるほど。では、2本目の東西ラインはどうなんですか?」

2本目。内海・池田・富山の八幡宮を結ぶ北緯34度28分のラインである。東に延びれば伊勢神宮、西の端は、八幡信仰の源流と言われている対馬の海神神社に至る重要なラインだ。
私は、静かに口を開いた。

「内海・池田・富丘八幡宮には、八幡宮ということ以外に共通点があるんです。」
「共通点?」
「ええ。この3つの八幡宮には、それぞれすぐそばに古墳があるんです。」
「ち、ちょっと待ってください。たしかに富丘八幡宮は、本殿の横の丘が古墳ですが、内海・池田にも古墳があるんですか?」
「まず内海に関してですが、調べてみると内海八幡宮は2つあるんですよ。」
「え!!そ、そんな事聞いたことありませんよ!」
「ええ。ここに住んでいる我々にとって、参拝する内海八幡宮は1つだけなんですが、実は2つあるんです。」

図書館に全国の八幡宮を載せている本がある。そこには驚くことに『内海八幡宮』として、2ケ所記載されているのだ。
ひとつは現八幡宮。そしてもうひとつ、現八幡宮のある宮山の頂上に、内海八幡宮とはっきり記載されているのである。

「この宮山頂上にある八幡宮ですが、応神天皇聖跡を祀っているとされていますが、その実『古墳を守るため』ではないかと思うんです。」
「つまり宮山に古墳があると・・?」
「ええ。現在でこそ宮山は内陸にありますが、その昔は古江の亀尾山古墳(十郎兵衛さん)と同じく半島だったんです。しかも、山の形からして古墳にほぼ間違いないでしょう。」
「そういえば、以前に石棺が出たと言ってましたね。」
「はい。町の記録には載ってないのですが、B&G側の崩れた崖に石棺が出たと聞いています。」
「では、内海八幡宮が古墳だとして、池田八幡宮は二面古墳に関係すると言うんですか?位置的にかなり離れていますが。」
「いいえ。二面古墳ではなく、池田八幡宮のすぐ裏の山、城山です。」

「それは・・。初耳ですよ。」
「聞いたことがない。」
「それは違うんじゃないですか。」

部屋の中がざわめき、それぞれが勝手に口を開きはじめた。

「ちょっと皆さん、一葉さんの説を聞きましょう。城山が古墳だという証拠でもあるんですか?」
たくろう氏が一同を制し、私を促す。

「皆さん、城山にはその昔、城があったのをご存知ですか?」
「聞いたことはあります。たしか、佐々木信胤に協力した地元の豪族の城があったらしいですね。」
池田在住のサニーさんが口を開いた。

「サニーさん、その豪族の名前は知っていますか?」
「たしか、須佐美一族だと聞いていますが。」
「そうです。須佐美氏です。」

以下次号

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コメント(3)

昔じいちゃんから「宮山は古墳でくずれた所から石棺が出てきた」という話を聞きました。ということは探せば埴輪とか出ませんか?
もう少し涼しくなったら探しにいきませんか?
ちなみに弁天島は古墳だということは皆知ってますが、昔山頂部分で土器を掘り出したことがあります。

>のんかさん
そうなんです。宮山から石棺が出たはずなんですが、町史などには記載されていません。
どこかに文献として残っていないかと捜してはいるのですが。
埴輪などが出る可能性は低いと思いますが、石棺はひとつではないでしょうから、他にも何か見つかるかもしれませんね。

そんなことは、ただの墓荒らしだからやめましょう!

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プロフィール

紅雲亭 一葉
プロレタリア文学作家の血を引く佃煮屋さん。
読む人をして声を出して笑わせしめる天賦の文筆力を授かる。 その文章に根強いファンが増えるはず。

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