

家族と北に出かけました。
旅行というのは、久しぶり。
いつもお迎えばかりしているけど、
お客さんはこんなところからも来る。
船に乗って、車に乗って、飛行機に乗って。
お客さんと逆の旅。
こんな風に新鮮に映る、
当たり前の景色を前に、
見えなかったことを見るとか、
知らなかったことを知るとか、
旅は、自分の中を歩くのか。
お土産は鞄にもフィルムにも納まらないもの。

最終のフェリーできつねうどん。
お休みを、いただきます。

岡山港からの船が満員だった。
大きな船なのに、相席になるほど。
こんなに混んだ船に乗るのは、はじめて。
私の後ろに座ったおばあちゃんの飴のハッカの香り。
うきうきとこぼれる夏休みの匂い。
みんな遊びに行くのだ。
私はこれから仕事に行く。
私は港に降り立つとき、帰ってきたなと思う。
岡山であろうと、土庄であろうと。

待ちに待った、休館日。
宿の仲間と瀬戸ビーチ。
今日は心置きなく、飛び込もう。
貝や魚を探したり、西瓜を割ろう。
これから一年は企画室に缶詰だから、
今年はしっかり肌を焼くことにする。
白いままだと、頭でっかちになっちゃう。
夕食は手巻き寿司にしよう。
マルナカにお財布投げてカゴの中は大漁。
仕事も休みも、することが変わらない幸せ。
料理や配膳が本職の、食いしん坊ばかり。

料理長と、山に。
上の方は、ほの寒く、
上のよもぎは、まだ若く。
上の方から見渡せば、合点がいく。
何のことはない、という気にもなる。

あるじの日誌によると、24℃の昼間。
どこからともなく、おじいちゃん。
ここぞとばかりに、おばあちゃん。
植木の露店を三往復。
迷いに迷って、ハナミズキ。

サービス勉強会。
今日は休館日、みんなで高松へ。
まずは生ビール講習会。
あるじを囲んで食事会。
それから接遇の講演会。
休みの日にも、楽しい仲間。
サービスも日々、メンテナンス。

お休みの日。
今日は「お客さん」になって、
碁石山のツアーに連れてってもらおう。
家を出るとき、一寸迷って、ヒールを履いた。
ガイドのあるじに「お嬢さんや」と笑われながら、
宿の石畳や、山の石段を、気をつけて歩く。
あるじ、お客さんは「お嬢さんや」からね。
行きのおしゃべり、帰りの沈黙。
お参り、夜景、満天の星。
宿の明かり、出迎えるスタッフ。
ひとつひとつが意味を成して、
「お客さん」とは想像を絶するものだった。
ただ、山に行ってきただけでも。

サービススタッフの勉強会、秋の部。
続いては、寒霞渓の散策。
海に、山にと、美しいのに慣れきって、
振り返って海があればと、なお欲張る。
石門にレースのような蔦。
紅葉にはもう少しのところ。

島に来るとき、一つだけ迷った町。
思い出して、訪れてみる。
ぼんやりした目には、ぼんやりした景色しか写らず、
こっちを選んだら、どうだったかという思いが
一瞬かすめたけれど、イメージは湧かない。
私はもう、お客さんでしかなかった。
そこここの美しさはあって、住めば都と言うけれど、
性に合うという必然性も、確かにあったと着地した。
何気なく歩いてきた道が、実は一本の綱だったと
振り返って鳥肌を立てるような、意味のある無駄。
渡ってしまえばなんてことないけど、
戻れるかと言うと、そうはいかない。
選択が合っていたかどうかは、私が決めること。
今を、今好きでいると知れただけでも、充分だ。
さて、島の暮らしを満喫しようっと。

夏風邪の島母さんを、「リハビリ」と言うて呼び出し、
新しいカフェに、「視察」と言うて居座る。
此処はどこで、私はだれか。
慣れてもいいけど、だれてはいけない。
たまには「お客さん」に、簡単にトリップ。

そして、妹を連れて島へ。
自ら選んで暮らすところを、どれだけ見てもらえるか。
私の日常を厳選しても、自転車の範囲で日が暮れる。
ゲストを案内することで、自分と自分を置いている環境に気付く。
いつの間にか、島に慣れていることの、嬉しさと淋しさを思う。
妹と、寝起きするのも久しぶり。
ゆっくりと濃密に過ぎていく時間に、あらためて驚く。
姉妹の話は尽きるはずもないけど、それぞれに充足して、
来た時間、来た船に、一人は乗って、一人は見送る。

連休をいただいて、離れて暮らす妹のところへ。
人やモノの多いこと。そびえ立つ建物の高いこと。
久しぶりの電車。人工の島から出る船。
お客さんは、例えばこの街から、例えばこの船で来る。
そのことを思えば、島に帰ってからの私のすべきことの
なんと単純で明快なことか。
ぼんやりと過ごしても、とりとめのない思いつきは数多く、
お休み明けはうかうかしていられないな、と思いながらも、
とりあえず感じるままにしておいた。

休館日に勉強会と称して島で遊ぶ。
お客さんの目には、何が映るのか。
客室清掃を終えたスタッフとも、山の上で合流。
波切不動さんの前の狭い岩場に、宿のスタッフが
ぎゅっと集まって、宿を見下ろしている不思議。
ずっと島に住むスタッフが、景色に感動して思わず、
「小豆島って大きいなぁ」と言うたのに、感動する。
私はよそから来て、今はここに住んで、
ここで働くことが日常だけれど、お客さんは違う。
みんなでこの景色を見れて、良かったなと思う。
曇っていて、夏至観音さまはおいでなかったけど、
牧場には牛たちが、草を食んでおいでた。

久しぶりの「家」は、変わらずにそこに在った。
私が居ようが居まいが、変わらずに居る家族。
ガレージの天井に、今年も帰ってきたツバメ。
一日として同じ日はないけれど、細やかな変化を
当たり前に飲み込みながら、図太く、変わらずに続く
「日常」というものへの憧れを、つよく感じた。
たくさん寝て、海を渡り、今日もまた仕事へ。
夜になってから、突然の激しい雷雨。
久しぶりの、停電するほどのざんざん降りでも、
畑が潤うこと、空が磨かれることを思えば、
嬉しいかなという程度の、些細なできごと。

雨のこいのぼり。
みんな上を向く。

初めての宝生院。
境内にひっそりと、大きなシンパク。
一つの木なのに、一つの森のようだった。
雨が地面まで届かないほど。
別の木が宿るほど。

おかみさんと映画村へ。
たまにはお客さん気分で。
うれしかったのは、温かい揚げパンと、
愛想の良いこぶ鯛、いちめんのなのはなと、
元気に泳ぐこいのぼり。

休みの日、よく晴れて、暑いほど。
おばあちゃんとじゃがいもを植える。
種芋は縦に切ること。切り口に灰をつけること。
することが何でも新しく、「なんで?」と聞いても、
おばあちゃんは、「さぁ、なんでやろ?」と言う。
それでもう、聞くのをやめて、考えるのをやめて、
じゃがいもが気持ち良さそうに埋まるのだけ見た。
ずっとやってきたおばあちゃんの勘のようなものを、
見て、感じて、吸収したいと思って。
その方がつよいし、難しいことは分からんし。
「上手にしたら、十倍やって」 「へー!」
「たのしみたのしみ」 なんて言いもって。
そうは言うても、元肥を入れんと土をかぶせたり。
仕事よりも畑端でのおしゃべりのが長かったり。
こういう、おばあちゃんのおおらかさが肥やしになって、
あんなにもりもりと、うまげな野菜になるのだな。
今日のこの芋がいつか育って、掘られて、料理されて、
運ばれて、口に届いて、お客さんが笑うとこまで、
ずっとずっとそばで見ていられることの嬉しさよ。
おばあちゃんの持ってきてくれた畑でのおやつ、
剥きやすいようにと、八朔の皮に十字の切り目。
お昼には三太郎の天釜を二人してぺろりと。

島に帰る船についてくるジョナサンたち。
島に戻るのを「帰る」と言う自分に気付く。