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小豆島おもしろ草子


「海幸彦・山幸彦話」の検証2

2006年11月20日

山幸彦と豊玉姫の検証2

さて、前号で書いたように「古事記」では、山幸彦と豊玉姫の孫(甥)が神武天皇となっているのだが、歴史学者の見解では、神武~開化までの九代は欠史九代として、実在しない天皇(後世の創作)と言われている。
では、山幸彦と豊玉姫の血を引く人物で「大和朝廷」を建てた人物は誰なのか?
一説には、第10代崇神天皇が神武のモデルであり「大和朝廷の祖」と言われているが、私は第15代の応神天皇ではないかと考える。応神天皇の母は神功皇后であり、卑弥呼と同じように巫女で倭女王とされている。また、応神天皇の祖父は「日本武尊」で、父である景行天皇の命令で、たった一人で敵対する国々を平定した人物である。一人で船に乗り海に漕ぎ出した山幸彦と似ている。

それはさておき、豊玉姫=壹与だとすると、山幸彦が豊玉姫と出逢った「聖なる島」こそが邪馬台国である。そこはどこか?
ここで、始めに書いた国生み神話がキーになる。
「聖なる島」であるからには、イザナギ・イザナミによって生まれた島でなければならない。
小船に乗り、一人で漕ぎ出したというからには、日本海の荒海ではなく瀬戸内海である。
候補は、吉備児島、小豆島、大島、姫島、知訶島、両児島。
このうち知訶島と両児島は、どこだか特定できていない。
吉備児島は、半島である。これで小豆島、大島、姫島の3つに絞られた。
この3島の古事記での呼び名であるが、小豆島(大野手比賣(おおのでひめ)、大島(大多麻流別(おおたまるわけ)、姫島(天の一つ根)。
邪馬台国は、女王国である。住む島も女性の名前でなければならない。
上記3島のうち、女性の名前が付いた島はただひとつ。

小豆島である!

以下次号

「海幸彦・山幸彦話」の検証

2006年11月12日

山幸彦と豊玉姫の検証

まず、山幸彦とは何者か?
答は、話の中にある「山で狩猟をしていた」という点と「自分の剣を溶かして釣り針を作った」という所で見えてくる。
つまり、「たたら(製鉄技術)を使える山の民」である。
火を扱い製鉄・鍛冶・鋳物などを生業とする人びとが、その守護神として祀っている「金屋子神」は、安芸、備後、美作、播磨、伯耆、出雲、石見などで盛んに信仰されており、このことから「山幸彦」は中国地方を治めていた吉備王朝の王であることが考えられる。

次に、豊玉姫。
「トヨタマヒメ」とは「玉のように美しいトヨという名の女性」という意味だろう。
歴史に詳しい人なら、トヨという名で気付くはず。
魏志倭人伝にはこう書かれている。

「卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壹与年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる。政等、檄を以て壹与を告喩す。」

卑弥呼の死後、国が乱れ男王を立てたが収まらず、卑弥呼の娘「壹与(トヨもしくはイヨ)を国王にして、ようやく国が治まったというのである。

「トヨタマヒメ=壹与」であるとは考えられないだろうか?

つまり「海幸彦・山幸彦」の話は「吉備王朝の王と邪馬台国の女王の結婚話」なのである。

古事記では、山幸彦(火遠理命)と豊玉姫の間に生まれた「鵜葺屋葺不合命」が豊玉姫の姉の玉依姫と結婚し、その二人の間に生まれた子供が、初代天皇「神武」となる。


以下次号

再会

2006年11月07日

fune.jpg

さて、故郷に戻り、無くした釣り針を海幸彦に無事返した山幸彦。
しかしながら、綿津見の宮に残してきた豊玉姫への想いはつのるばかり。

「逢いたいよぉ~」

逢いたい~気持ちは~ ままぁ~ならぬぅ~♪
こんばんは。鶴岡マサヨシと東京ロマンチカです(古)

毎日、海を見てはため息をつくばかり。
そんな時、ふと海を見ると・・・

「ああっ!豊玉姫!!!」

そう、豊玉姫も山幸彦を忘れられず一人で小船に乗り、山幸彦のもとへやって来たのだった。

「姫、もう二度と離しはしない!」
「山幸彦さまっ!」

と、いうことでめでたし、めでたしなのだが、この後、豊玉姫がワニの姿になって子供を産む話とかが続くのだが、それは本題とは関係ないので省略する。

以上が「海幸彦・山幸彦」の物語なのだが、次号からこの話を分析してみよう。

以下次号


プロフィール

紅雲亭 一葉
プロレタリア文学作家の血を引く佃煮屋さん。
読む人をして声を出して笑わせしめる天賦の文筆力を授かる。 その文章に根強いファンが増えるはず。

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