ヘッダーをスキップ




小豆島おもしろ草子


西の瀧「龍水寺」

2010年03月01日

ryuusui2.jpg
西の瀧「龍水寺」
国道436号線を土庄から池田方面へと向かっていると、山中の崖に赤い建物が建っているのが目に入る。小豆島霊場八十八ケ所「四十二番札所 龍水寺」である。
現在、この寺は「三十三番札所 長勝寺」奥の院となっているが、歴史はこちらの方が古いのではないだろうか。
岩肌に建てられた本堂に入ると、左側に奥へと進む洞窟がある。伝説によると、村人に害を及ぼす2匹の龍を弘法大師が密教の秘術で岩壷に閉じ込めたという。岩窟に湧く水は、その龍の涙と言われ、大師の加持水として万病に効くとされている。
この龍水寺にあった梵鐘は建治元年(1275)の刻印があり、国の重要文化財に指定されている。
また、洞窟の中にあった宝篋印塔は、建武5年(1338)と刻まれており、南北朝時代の様式をよく表していることから国の重要美術品に認定されている。

小豆島の山岳霊場は、修験道と関わりがあると思われる。
この龍水寺のすぐ右側の山中に、盛り上がった岩山があり、その崖の中腹に熊野権現が祀られていることから、龍水寺も熊野権現と何らかの関わりがあったのではないだろうか。
承久の乱のころから南北朝時代まで、小豆島池田郷は須佐美氏という一族が勢力を持っており、この一族は紀州から移り住んだと思われる。
紀州の周参見には、周参見王子神社があり、元は若一(にゃくいち)王子権現社であったという。
若一王子の本地仏は十一面観音。龍水寺のご本尊も十一面観音であり、妙に符号する。


夏至観音

2009年12月01日

geshi2.jpg
夏至観音

毎年、夏至の時期になると、小豆島霊場1番札所「洞雲山」に神秘的な現象が起こる。
午後3時から約5分間、岩肌に観音像が浮かび上がるのだ。
太陽の光と影が作り出すこの観音様は「夏至観音」と呼ばれ、多くの人が一目見ようと訪れる。

不思議な現象である。

舟着き岩

2009年11月16日

funatuki.jpg

舟着き岩

西寒霞渓、一般には小豆島ヴィラと呼ばれる別荘地のはずれに、崖から空中に飛び出た岩がある。
この岩からは小豆島の内海湾一帯が一望できる、絶景の場所でもある。
ただし、岩の下は木が生い茂った森であり、ここから下りる道もなければ、集落から上がってくる道もない。
観光案内に載っているスポットではないので、ほとんど誰も知らない場所なのだが、すぐ近くに電波塔があるので常に下草は刈られていて、場所さえわかれば比較的簡単に行ける絶景ポイントでもある。

この岩は、通称「舟着き岩」と呼ばれている。その昔、この岩に舟が着いたというのだ。
標高600mほどあるこの場所に舟が着いた?そんなバカな。それともノアの方舟伝説のように、数千年前に大洪水が起こり、この場所に舟が着いたというのだろうか。
また、この岩自体が舟だという話もある。そう言えば、この岩の形は舟に見えないこともない。
その上、この岩の地面に接地している部分は、階段状に切られたような跡も見られる。

funa2.jpg

岩が水に浮くことはないので、日本の神話でいう「天の岩舟」だろうか?
謎の岩である。

小豆島魔界紀行

2009年11月05日

kasane1.jpg

小豆島魔界紀行

小豆島には数多くのミステリースポットが点在する。
それは自然が作り出した物もあれば、明らかに人工的な物もある。
しかしながら、現代に生きる私たちにとって、それは自然の驚異であったり、理解不能なものであったりするのである。
それらをここで紹介しよう。

小瀬の重ね岩
高松から小豆島土庄港に入港するときに、右手側の山の端に見える岩である。
岩の上に巨大な岩が微妙なバランスで乗っている。
ここには日本七霊山のひとつ、霊峰石鎚山から勧請された石鎚毘古命が祀られており、多くの参拝者が訪れる。

~エピローグ~

2009年02月13日

outo1.jpg

~エピローグ~

この小豆島にある神社を結ぶ奇妙なラインに気がついてから、はや2年半が過ぎた。
このブログの展開と共に調査をしてきたのだが、その間にさまざまな情報が寄せられた。
ブログには載せなかったが、例えば富岡八幡神社を中心に半径3.6kmの円を書くと、池田亀山八幡宮・肥土山離宮八幡・伊喜末八幡神社・大木戸八幡神社がライン上に乗る等・・。

小豆島にこれだけ多くの神社が点在すると、地図をプロットすれば何らかのラインが出来る。
もちろんこれは偶然の産物であり、そこに神社を建てた意図はないのかもしれない。
ただ、東経134度19分ラインのように、先に古戦場があり「そこに後から神社が作られた」場合などは、歴史を知る上で貴重な遺産である。

我々が日々の生活の中で、神社にお参りをする機会はそう多くはない。特に宮司さんがいない、小さな「村の鎮守様」などは、目にとまることもないだろう。
しかしそこには「祀るための何らかの理由」があり、その理由は忘れられても、何百年の間受け継がれてきたものである。
なぜ「そこ」に祀られているのか、その祭神は「誰」なのか、それを知ることが故郷の歴史を学ぶ上で大切なことだと私は思う。

~最後に、読んで下さった皆様へ~
多くの方に感想を頂き、またわざわざ私を訪ねて来て頂いた方々に、グダグダのままこの章を終えることをとても申し訳なく、残念に思います。
このブログを書くために、今まで行ったこともなかった神社や山中の祠や磐座などを巡り、さまざまな発見がありました。今後も引き続き、小出しになりますが、そのレポートを書きたいと思います。


小豆島結界物語  ~終~


結末~時代へ

2009年02月10日

sekirui2.jpg

結末~時代へ

「皆さん!大丈夫ですか!!」
ようやく揺れが収まり、たくろう氏が叫んだ。

「いててて・・・。それにしても凄い地震でしたね。」
紫蘭さんが腕を押えながら答えた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと机にぶつけただけです。」
「いやあ、こんな揺れは阪神大震災以来ですね。」
「怖かった・・」
机の下に潜っていたメンバーはお互いに無事を確認しあいながら、口々に安堵の言葉を漏らした。

「あれ?一葉さんは?」
「一葉さんが・・・消えた?」

********************************************************************

「殿!殿!!」
林の中の小道を、鎧兜に身を包んだ武者がこちらに駆けてくる。
「細川の軍勢が讃岐を出たようです!」
「来たか。狼煙を上げて、熊野水軍に伝えよ。」
彼方の海を見ながら、私はそう答えた。

「来ましたな・・信胤様。なあに、細川の腰抜け共なんぞ返り討ちにしてくれますわい。」
私の隣で年配の老武者が言った。
「十郎兵衛。この戦、絶対に負けるわけにはいかん。この小豆島に来て7年。ようやく見つけ出した本物の三種の神器を、なんとしても後醍醐天皇に届けるのだ。」
「信胤様がこの地に来られて、はや7年になりますか。それにしても平家の落人がまさかこの地に三種の神器を隠していようとは、思いもよりませんでしたわい。」
「安徳天皇とともに海に沈んだ神器がいつの間にか引き上げられた、という話を真に受けていたのか?」
「もちろん。信胤様以外の誰もがそう信じていたでしょうな。」
「ふっ。北朝の光明天皇の手にあるのは偽者じゃ。平家はいつの日かの復興をもくろんで、この島の3ケ所に古墳としてそれぞれを隠し、目印のために八幡大菩薩を祀る神社を建てた。伊勢の神宮と、この国の西の端の海神神社の線上にな。」
「平家の落人も、なかなかの知恵者ですな。もっとも、それを見破った信胤様の方が一枚上手でございますが。はっはっは」
「十郎兵衛。この三種の神器をもって後醍醐天皇を正統な帝とし、わしは武家の頭領である征夷大将軍となる。そうなればこの国は思いのままよ。」
「御意。」

私の目の前に広がる穏やかな瀬戸の海に、戦乱の嵐が吹き荒れようとしていた。

~小豆島結界物語~終~


全ての謎を解く その7

2009年02月09日

outoiwa.jpg

全ての謎を解く その7

「皆さん、三種の神器というのをご存知ですか?」
「鏡、剣、勾玉のことですね?」
紫蘭さんは何を言い出すのか、という顔で答えた。

「そうです。八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉のことです。八咫鏡はニニギノミコトが天孫降臨する際、この鏡をアマテラスだと思って祀るようにと手渡されたものです。天叢雲剣は別名草薙剣とも言われ、スサノオがヤマタノオロチを退治した時に、オロチの尻尾から出てきた剣です。」
「つまり、八咫鏡はアマテラスであり、天叢雲剣はスサノオということですか?」
「そうです。」
「では、残るひとつの八尺瓊勾玉は?」
「八尺瓊勾玉に関しては、天の岩戸隠れの時に玉祖命が作り天孫降臨の際にニニギノミコトに持たせたとありますが・・・・。」
「・・・が?」
「私は、八尺瓊勾玉は月読命(ツクヨミ)に関係があるのではないかと思うんです。」
「なぜ?」
「鏡=太陽=アマテラスであり、玉=月=ツクヨミではないかと思います。それであれば、三貴神(子)が三種の神器にそれぞれ当てはまるのです。」

「たしか、三種の神器は日本の正統な帝の証として、皇位継承の際に代々伝えられてきたものですね。」
サニーさんの問いに、私は一呼吸置いて答えた。

「その通りです。帝は三種の神器、つまり三貴神の力を受け継ぐことにより、畏敬の神格を得たのではないでしょうか。現在では、鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、勾玉は御所にあるとされています。」
「それぞれ別の所にあるのですか?」
「ええ。この三種の神器をめぐって過去にさまざまな事件が起きているのです。」
「・・・・・事件?ですか?」
「最も大きな事件は、平家滅亡の際に平家に連れられていた当時8歳の安徳天皇が、祖母に抱きかかえられ海に飛び込み、三種の神器ともども海に沈んだとされている事件です。」
「海の底に沈んでしまったのですか?」
「ええ。ところが誰かの手により引き上げられ・・」

そこまで話た時、ドーン!という耳を劈く音とともに、大きな横揺れが起こった。

「地震だ!!!」
誰かが叫んだ。部屋の中は怒号と悲鳴が入り混じり騒然となった。
私は机にしがみ付き、なんとか立っていたが、次の大きな縦揺れで吹き飛ばされ、壁に打ち付けられて気を失った。

以下次号

全ての謎を解く その6

2009年02月06日

senda.jpg

全ての謎を解く その6

「一葉さん。このラインにスサノオがなにやら関係しているようだ、という事はわかりましたが、東に到達するのは伊勢神宮でしたよね?」
「ええ。伊勢神宮、皇大神宮とも呼ばれる天照大御神を主祭神とする、神社本庁の本宗です。」
「西はスサノオ、東はアマテラスということですか。」
「ええ。で、この34度28分が到達する所は、伊勢神宮の中でも『月読宮』なんです。」
「月読というのは、いったい何ですか?」

たくろう氏が申し訳なさそうに尋ねた。

「イザナギが黄泉の国から帰ってきて禊をした時に、左目から生まれたのがアマテラス、右目から生まれたのが月読、鼻から生まれたのがスサノオで、この3人が三貴神と言われる重要な神様とされています。」
「アマテラスとスサノオはよく聞く名前ですが、月読というのはあまり聞かないですね。」
「ええ。神話でもアマテラスやスサノオが登場する話はたくさんあるのですが、月読のエピソードは記紀の中にほとんど出てきません。」
「三貴神の一人でありながら、それほど重要ではないという位置づけですか?」
「いえ、決してそうではないのです。」

以下次号

全ての謎を解く その5

2008年10月19日

miyama.jpg

全ての謎を解く その5

「スサノオといえば、神話の中でも最も有名な【ヤマタノオロチ退治】の英雄ですよね。」
「たしか、出雲が舞台となっている神話ですね。」
「ええ。高天原を追放されたスサノオが、最初に活躍するのが出雲なんですが、日本書紀では高天原から直接出雲に降りたのではなく新羅に降りた後、出雲に渡ったとされています。」
「なぜ新羅に?」
「そこがポイントなんです。新羅で特に何かの活躍をしているわけでもない。神話の作者からすれば、ヤマタノオロチ退治の活躍を書くのであれば、直接高天原から出雲に降りたことにすればいいものを、わざわざ一度新羅に降りてから出雲に向かったとしているんです。」
「何か意味があるんでしょうね。」

私は大きく息を吸い込み、私が考えた説をゆっくり話した。

「先に話た通り、アマテラス=卑弥呼であり、スサノオ=卑弥呼の弟王であるなら、説明がつきます。」
「どういうことですか?」
「つまり、天の岩屋戸神話は、邪馬台国におけるスサノオ(弟王)のクーデターであり、スサノオのバックには新羅がついていた、ということです。ご存知の通り邪馬台国は、親魏倭王の金印を貰ったように、魏の力を背景に連合国をまとめていたのですが、卑弥呼が亡くなったとされている248~9年ごろの魏は、司馬懿によるクーデターが成功し、事実上司馬一族の支配になりつつあったのです。」
「では、魏の混乱に乗じて新羅がスサノオのバックにつき、倭に権力を伸ばそうと企てた、ということですか?」
「アマテラス、つまり卑弥呼を倒す事には成功したものの、連合している各国に同意を得られず2代目アマテラス、すなわち台与により邪馬台国を追放されたのではないでしょうか。」
「だから新羅に逃れた・・・と、いう訳ですね。」

私は大きく頷いた。

「でも申し訳ありませんが一葉さん、その話は八幡信仰と関わりがあるようには思えませんが。」
「いえ、一端新羅に渡った、というのがキーポイントなんですよ。」
「と、言うと?」
「北緯34度28分のライン。つまり小豆島の3つの八幡宮を結ぶラインですが、東へ伸ばすと伊勢神宮へ、西へ伸ばすと到達するのが対馬の海神神社でしたよね。」
「そうです。」
「日本書紀に書かれている通り、スサノオが新羅から日本に渡ったとなると、恐らくはその中間点である、壱岐もしくは対馬に立ち寄ったと考えられませんか?」
「あ!・・・、魏志倭人伝に書かれている日本に渡るルートでも、そうですね。」
「そして、海神神社。最初にスサノオがイザナギから命じられたのは、海原を治めることだった・・。」
「で、ではスサノオが海神だと・・!」
「八幡信仰の源流と言われている海神神社。そしてスサノオの3人の娘である宗像三女神(比売大神)を祭神とする八幡信仰。スサノオの渡来・・。イザナギの命令・・。」
「八幡信仰とは、スサノオ信仰ですか?!」
「私の勝手な憶測なんですけどね。」

笑いながら私は答えた。

「話が脱線したついでにもうひとつ。熊野ではスサノオが新羅から出雲に行く途中、熊野に立ち寄った、という話もあるんです。」
「それではずいぶん遠回りですね。」
「ええ。途中に立ち寄るルートではありませんが、熊野信仰の主祭神とされる家津美御子大神の正体はスサノオである、という説もあるんです。」
「どういうことでしょう?」
「日本書紀に『一書に曰く』として、スサノオが身体の毛を抜いて放つと木になった、とかスサノオの息子の五十猛神が木の種を蒔いて紀伊の国を作った、とかいうのがあるそうです。」
「紀州・熊野とスサノオも何か関係がありそうですね。」
「ええ。で、話を戻しますが、池田の亀山八幡宮のある城山に居を構えた須佐美一族の頭領、須佐美源五は紀伊守なんですよ。」
「須佐美氏とスサノオ、どちらも紀伊に繋がるんですか!」
「ええ。それと、小豆島に最初に八幡宮が出来た時、これは藤原時代なんですが、石清水八幡宮から神官として小豆島にやって来たのは『紀』氏なんです。」
「紀氏?」
「ええ。有名なのは歌人の紀貫之ですが、元々は紀伊国造と言って、紀州の古代豪族なんです。」

以下次号

全ての謎を解く その4

2008年09月07日

funa1.jpg

全ての謎を解く その4

「あ、あのぅ。すみません、一葉さん。話の内容がよくわからないんですが・・。池田八幡宮と城山の話が、なぜ邪馬台国の話になるんですか?」

たくろう氏が申し訳なさそうに言った。

「あ、話が飛躍してしまいました。問題はスサノオなんです。」

私は振り向くとホワイトボードに『素戔嗚尊』と書いた。

「日本書紀ではスサノオをこのように書くのですが、古事記にはこう書かれています。」

『建速須佐之男命』

「スサノオを須佐之男と書いています。文字通り読めば【須佐の男(おとこ)】ですよね。この場合、須佐というのは須佐という地名、もしくは一族の名前ではないかと思うんです。」
「なるほど。」
「つまりスサノオというのは、『須佐から来た男』もしくは『須佐一族の男』という意味ではないでしょうか。」
「そういう風にも考えられますね。」
「地名では現在山口県萩市に須佐という地名があります。また、出雲の須佐神社の神職は須佐氏で、スサノオの子孫であると伝えられているそうです。そこでサニーさん、もう一度尋ねますが、池田八幡宮がある城山に居城していた豪族は・・?」

「・・須佐美一族です。」

「あ!!!!、なるほど!!」

「そうなんです。私の想像なんですが、須佐美氏はスサノオに何か関わりがある一族ではないかと思うんです。」
「スサノオに関わりがある一族が、古墳と八幡宮を守るために城山に城を築いたと?」
「そうです。」
「し、しかし一葉さん。八幡宮の祭神は、応神天皇と神功皇后それに比売大神の三柱ですよ。」
「そこなんです。八幡宮の総本社は宇佐神宮なのですが、応神天皇と神功皇后が八幡宮に祀られるようになったのは、宇佐では社殿の建替えがあった708年ごろから、あるいは860年に石清水八幡宮が建立されてからという説があるんです。」
「それが八幡信仰の始まりではないのですか?」
「いいえ。八幡信仰はもっと古く、宇佐では辛島氏が比売信仰を持ち込んだのが始まりと言われています。」
「比売信仰?」
「ええ。比売大神です。比売大神とは宗像三女神のことで、福岡県の玄海灘に浮かぶ沖ノ島・大島・田島に祀られる田心姫神(たごりひめ)・湍津姫神(たぎつひめ)・市杵島姫神(いちきしまひめ)なんですが、この三女神はスサノオがアマテラスと天安河で対決したときに生まれたスサノオの子供なんです。」
「そ、そうなんですか!!」
「はい、この三女神が生まれたことでスサノオの勝利となるんですよ。」
「では、その三女神の信仰が八幡信仰の始まりなんですね。」
「ところが、そうではないんですよ。」

以下次号



プロフィール

紅雲亭 一葉
プロレタリア文学作家の血を引く佃煮屋さん。
読む人をして声を出して笑わせしめる天賦の文筆力を授かる。 その文章に根強いファンが増えるはず。

カテゴリー

最新の記事

バックナンバー

最近のコメント

  • RSS2.0を取得
  • ATOM0.3を取得

Powered by Movable Type